三朝町で沸き出るお湯のラジウム含有量が非常に豊富であることが知られ、「三朝温泉」の名前が全国に知れ渡ったのは大正時代のこと。当時の屋号「岩崎旅館」でした。

温泉地としての三朝の将来性に着目した故・岩崎吉太郎(初代社長)は、大正9年に三徳川の岸辺に岩崎旅館(現在の依山楼岩崎)を開業しました。

【田山花袋・島崎藤村】
大正~昭和初期、世界屈指のラジウム温泉として全国に知られるようになった三朝温泉。町は、遠方からくる湯治客で賑わっていました。この頃、田山花袋、島崎藤村ら当時を代表する文豪が投宿した。

【与謝野鉄幹・晶子夫妻】
昭和初期に夫婦そろって岩崎に投宿。鉄幹、晶子の詠んだ歌、 同じ装丁の掛け軸が残っています。

水と灯の 作る夜色の めでたさを見んは都と 渓あいの湯場   ~晶子 三朝湯の ゆたかなるかな こころさへこの新しく 湧くよ学ばん  ~鉄幹 【斎藤茂吉】 「したしきは うす紅の 合歓の花 むらがり匂ふ 旅のやどりに」 茂吉が、当時、庭園にあった合歓(ねむ)の木を詠んだ歌。この歌の直筆ほか、女将宛に届いた茂吉からの葉書は今も大切に保管されている。

三朝温泉 依山楼岩崎
【風呂クチコミ4.8】三朝川沿いの広大な敷地に建つ宿。回遊式大庭園風呂「山の湯」露天風呂をはじめ12のお風呂が湯巡り気分で楽しめる。三朝川の眺望随一、ラジウム温泉堪能12の湯巡りと旬の料理自慢の宿